考え方
なぜいけずは検証しにくいのか
記録と実使用の食い違いについて
最終更新
この辞典を作るなかで、収録した表現のほとんどが「資料は1件だけ」という状態になりました。調べ方が足りないのだろうかと考えましたが、そうではないようです。いけずという対象そのものが、裏づけを取りにくい形をしています。ここではその理由を3つに分けて説明します。
日常会話は記録に残らない
いけずは、その場かぎりの会話のなかで使われます。話し手も聞き手も書き留めませんし、書き留める理由もありません。つまり使われた瞬間に消える種類のことばです。
文献のほうは、語彙集や解説記事として残ります。しかしそこに書かれているのは「こういう言い方がある」という説明であって、「いつ、誰が、どの場面で実際に使った」という記録ではありません。文献をいくら丁寧にたどっても、実使用の記録は出てきません。もともと作られていないからです。
この辞典で「記録=単一」の表示が並ぶのは、そのためです。載っている資料は確かにありますが、比べる相手がいない。同じことを別の角度から書いた資料が、そもそも存在しにくいのです。
この辞典での例
いずれも「その用法を載せている資料は1件だけ」という状態です。
有名な事例は、フィクションの記録として残っている
では、よく知られた言い回しはどうでしょうか。こちらは記録が豊富です。ただし残っているのは作品としての記録です。
「ぶぶ漬けでもどうどす?」は落語の題材として広く知られています。しかし落語に登場することが示すのは、そういう噺があるという事実であって、そういう習慣があったという事実ではありません。この2つはよく混同されます。
有名であるほど、作品や解説記事のなかで繰り返し語られ、記録は厚くなります。ところがその厚みは、実際に使われたことの裏づけにはなりません。むしろ有名になる過程そのものが、作品を経由している可能性があります。
いけずは、設計上そもそも反証できない
これが一番効いている理由だと考えています。
「ぶぶ漬けでもどうどす?」は、字義どおりに読めば食事を勧める文です。相手を追い返す言葉は一つも含まれていません。だから、もし「それは帰れという意味ですか」と問いただされても、話し手は「いえ、本当に召し上がってほしくて」と答えられます。いつでも字義に退避できるのです。
これは欠陥ではありません。角を立てないために、意図をあえて確定させない形を選んでいるのです。相手に断りを伝えつつ、断ったという事実は残さない。そのためには、言葉の表面が無害である必要があります。
すると次のことが起こります。話し手に尋ねても、意図は確認できません。確認できてしまう言い方は、そもそもいけずとして機能しないからです。
つまり検証が失敗し続けるのは、調べ方が足りないからではありません。対象が、検証を拒む構造を持っているからです。この点で、いけずは「事実かどうか」を問える普通の主張とは性質が違います。
だから、判定を2つに分けました
以上の3つから、ひとつの判定では足りないことが分かります。
記録として存在するかと実際に使われるかは、別々に動きます。理由1により実使用の裏づけは薄くなりがちで、理由2により有名なものほど記録だけが厚くなり、理由3によりその差は調査では埋まりません。
ひとつの値でまとめると、どちらかが必ず誤読されます。「俗説」とだけ書けば落語にも存在しないように読まれ、「確実」とだけ書けば日常で使われていると読まれます。だからこの辞典は、2つを並べて表示します。
そして資料が1件しかないことを「単一」と表示します。それは欠落ではなく、読み手が確からしさを自分で判断するための材料です。
この見方の限界
ここで述べたのは推論であって、資料に基づく事実ではありません。理由1と2は、この辞典で実際に起きていることの説明としては筋が通りますが、他の分野の遠回し表現にも同じことが言えるかは分かりません。理由3は言葉の性質についての分析で、出典を示せる種類の主張ではありません。
また、「検証できない」ことは「存在しない」ことを意味しません。裏づけが取れないからといって、いけずが使われていないと結論することはできません。理由3が正しいなら、使われていたとしても裏づけは出てこないはずだからです。
このページは、収録が進まない理由を説明するものであって、いけずの実在を否定するものではありません。
では、どうすれば前に進むか
文献をあたる方法には限界があります。方言の研究では、こうした場合に調査者自身が記録を取る方法が採られてきました。この辞典でも同じ方法を使います。
ただし自主調査の記録は、文献資料とは性質が違います。混ぜて使えば、このサイトが批判している「そう言われている」の集積と変わらなくなります。そのため記録の形式・表示の分け方・単独では「確実」としないことを、あらかじめ編集方針に定めて公開しています。
理由3がある以上、この方法でも決着はつかないかもしれません。それでも、何が確認できて何ができないのかを示し続けることには意味があると考えています。