編集方針
この辞典が何を収録し、何を収録しないか。位相と通用度をどう判断しているか。 判断の根拠を公開しておきます。
実在性の判定基準
実在性は、性質の異なる2つの問いに分けて判定します。 ひとつの値でまとめると、必ずどちらかが誤読されるためです。
- 記録として存在するか(確実/諸説/単一/不明) — 資料や作品に、この表現が記録されているか。
- 実際に使われるか(確実/諸説/俗説) — 日常で本当に使われている(いた)か。
この2つはしばしば食い違います。たとえば「ぶぶ漬けでもどうどす?」は 記録には確実に存在しますが、実際に使われている裏づけはありません。 反対に、当事者の証言が残っている事例でも、その言い回しがどう記録されてきたかは 分からないことがあります。
なお、食い違いとして扱うのは確からしさの段階が2つ以上離れているときだけです。 隣り合う差は、判定の対立ではなく単に裏づけが薄いことを意味するためです。
食い違いは欠点ではなく情報です。 「有名だが使われていない」「実際にあったが記録がない」ということ自体を、 このサイトは伝えるべき内容として扱います。 そのため実使用が「俗説」でも、記録があるものは公開します。 伏せてしまうと、このサイトの存在意義がなくなります。
独立した2件以上という条件は、「記録として存在するか」にのみ掛けます。 実際に使われたかどうかは、性質上、当事者ひとりの証言しか存在しないことがあるためです。
「俗説」と「不明」の違い
実使用の判定では、この2つを分けています。 「俗説」は、広く知られているのに実使用の裏づけが乏しいと判断できたものです。 こちらが判断を下しているので、必ず反証を添えます。
「不明」は、使われるかどうかをまだ判断できていないものです。 たとえば会話ゲームの題材として記録されている表現は、 広く流布しているわけでも、実使用を否定できるわけでもありません。 これを俗説と呼ぶと言い過ぎになります。
「単一」という判定について
資料が1件しかない状態を「諸説」とは呼びません。 諸説とは複数の説が対立している状態で、成立するには最低2件の資料が要ります。 1件しかないのは、説が分かれているのではなく、比べる相手がいない状態です。 これを別の値として「単一」と呼んでいます。
「単一」のものも公開します。 「この用法を載せている資料は1件だけ」というのは、隠すべき欠落ではなく、 読み手が確からしさを判断するための材料だからです。 ほかで目にする記事は、そもそも資料が何件あるかを書いていません。 ラベルで正確に示せるのなら、伏せる理由がありません。
ラベルと実際の資料の件数は、公開前の検査で必ず突き合わせます。 「単一」と書いてあるのに2件ある、「確実」と書いてあるのに1件しかない、 といった食い違いがあると、そのままではサイトに出せない仕組みにしています。
それぞれの段階の意味
このサイトの中心にある考え方です。京都の遠回し表現には、 広く知られているが実際に使われている裏づけの乏しいものが混じっています。 それを「そう言われている」のまま載せると、資料ではなく噂の集積になってしまいます。
そこで収録するそれぞれの表現に、次の3段階のいずれかを必ず付けます。
- 確実 独立した2件以上の資料で、実際の用法として確認できるもの。 資料どうしが同じ出どころを引き写しているだけの場合は1件と数えます。
- 諸説 資料によって解釈が分かれるもの。 どちらか一方に決めず、両方の見方を併記します。 異なる見方があること自体を情報として示します。
- 俗説 広く流布しているが、実使用の裏づけが乏しいもの。 創作や語り物に由来するとされるものを含みます。 否定するのではなく、「そう語られてきた」ことと「裏づけがない」ことを両方書きます。
「諸説」「俗説」と判定したものには、必ず反証を添えます。 どの資料が何と述べているかを示さないまま「俗説です」と書くのは、 裏づけのない断定を裏づけのない否定に置き換えただけだからです。 反証を書けないものは、判定を保留して公開しません。
話法(型)の分類について
いけず変換では、遠回し表現を「話法」という型に分けて示しています。 この分類は、当サイトによる整理です。 資料にこの分類が書かれているわけではありません。
遠回し表現を二系統(御所の婉曲/町方のいけず)に分けている枠組みと、同じ扱いです。 収録した表現を並べて見たときに、こう整理すると説明しやすい、という枠にすぎません。
そのため、次のことを守っています。
- 話法に出典を付けません。出典を付けられるのは、その話法に該当する個別の表現の側だけです。
- 「資料によれば」の形で書きません。当サイトの整理であることを、そのつど明示します。
- 話法に実在性の判定を付けません。判定は表現に付くものであり、枠組みに付けると意味が壊れます。
検証を掲げているサイトが、自前の分類を資料由来であるかのように出したら、 その時点で信用が失われます。枠組みと事実は分けて示します。
なお、話法には「逃げ道」という項目を必ず添えています。 その言い方をしたとき、話し手がどのように字義どおりの意味へ退避できるかを示すものです。 遠回し表現が問いただしても確定しない理由は、 なぜいけずは検証しにくいのかで説明しています。
自主調査の記録について
いけずが実際に使われているかを裏づける資料は、構造的にほとんど存在しません。 日常会話は記録に残らないため、文献をいくら探しても見つからないものがあります。
方言の研究では、こうした場合に調査者自身が記録を取る方法が採られます。 このサイトでも同じ方法を使うことがあります。実際に見聞きした言い回しを、 日付・場面・話者の属性・解釈とともに記録したものです。
これを使うにあたって、次のことを守ります。
- 文献資料と混ぜません。別の区分で保持し、表示も分けます。 「自主調査の記録」と明示し、文献のように見せることはしません。
- 個人が特定できることは書きません。氏名・店名・住所は記録しません。 話者については年代と大まかな地域までにとどめます。
- 自主調査の記録だけを根拠に「確実」とはしません。 単独では「諸説」が上限です。独立した複数の記録があるか、 話し手本人が意図を明言した場合にかぎり「確実」とします。
- 記録者の解釈と、話し手が明言した意図を必ず区別します。 どちらであるかを記録に明記します。
- 後から思い出して書きません。記録した日を残し、 日付が曖昧なものは記録しません。
この方法を隠して使うと、このサイトの前提が崩れます。 出典を示すことを価値としている以上、 何をどう記録しているかを公開したうえで使うべきだと考えています。
公開しないもの
次のいずれかに当てはまる表現は、どれだけ有名でも公開しません。
- 記録そのものが見つからないもの。「不明」と判定したものは公開しません。
- ラベルと実際の資料の件数が合わないもの。公開前の検査で弾きます。
- 2つの判定のどちらかについて、説明を書けないもの。判定だけを示して理由を書かないのは、断定と変わりません。
- 実使用が「確実」でないのに、反証を書けないもの。上に述べた理由によります。
- 言い回しの形そのものが確定できないもの。いけずは語形が情報なので、 出来事の裏づけだけでは足りません。
- 解説を書けないもの。意味だけを並べても、なぜそう言うのかが分からなければ辞典になりません。
これらは人の注意で守るのではなく、公開前の検査で機械的に弾くようにしています。 条件を満たさないエントリは、手を加えないかぎりサイトに出てきません。
その結果として、収録件数は少なくなります。 有名な言い回しであっても裏づけが揃わないうちは載せません。 件数を増やすために表現を創作することは、いっさいしません。
遠回し表現の二系統
京都の遠回し表現は、由来のちがう二つの系統に分けて考えています。
ひとつは御所・女房詞に由来する婉曲です。 宮中に仕えた女性たちが、はしたないことを直接口にしないために用いた言い換えで、 おてなし(月経)、おちょうず(小便)、はばかり(便所)、 夜のもの(寝具)などが該当します。
もうひとつは町方の「いけず」です。 角を立てずに拒絶するための言い方で、前者が実用に降りたものと位置づけられます。 対立の回避を最優先する作法であり、そのために言葉の表面と意図がずれます。
この対比は、収録している京ことば517語の側でも裏づけが取れます。 御所ことばと 町方ことばを並べて見ると、 何を避けるための言い換えなのかが系統ごとに違うことが分かります。
「京都人は陰湿」という枠組みを採らない理由
遠回し表現を、話し手の性格の問題として説明することはしません。 これは配慮というより、説明として成り立たないからです。
その枠組みでは、なぜその言い方が生まれたのかも、 なぜ特定の場面でだけ使われるのかも説明できません。 説明の代わりに人物像を置いているだけで、辞典の記述にはなりません。
収録するそれぞれの解説は、「なぜそう言うのか」という背景で締めます。 京都で生まれ育った方が読んで、事実として反論できない水準を目標にしています。
収録の範囲
現在 517 語を掲載しています。 公開されている資料で語義を確認できたものだけを載せ、出典のない語は入れていません。
「一拍語の長音化」「し→ひ」のような音韻の規則は6件ありますが、 これらは語ではなく規則なので、辞典の見出しからは外しています。 京ことば変換のほうで、規則として働かせています。
位相(いそう)の考え方
京ことばは、どの階層で使われてきたかによって語が分かれます。 この辞典では次の4つを主な位相として扱います。
- 御所宮中に仕えた女性たちのことば(女房詞)。多くは歴史語です。
- 町方町なかで使われてきた日常のことば。この辞典の中心です。
- 花街お茶屋・置屋で使われることば。公的資料で裏付けの取れたものを収めています。
- 現代いま実際に使われている語。前の3つと重なることもあります。
このほかに商家・中京・職人という区分もありますが、 該当する語が少なく(あわせて10語)、絞り込みの選択肢に出しても空振りするだけなので、 各語の詳細のなかにだけ表示しています。
御所の色を紫にしたのには理由があります。 紫は禁色(きんじき)の制度で最高位に置かれた色でした。 飾りとして選んだ色ではなく、史実に紐づいた色分けです。
現代通用度
いま実際に使われるかどうかを1〜5で示しています。 5がいまも日常的に使われる語、1が歴史語です。 「古い=価値がない」ではなく、どの時代の層に属するかを見分けるための目盛りとして置いています。
婉曲な言い回しについて
京ことばには遠回しな表現が多くあります。これは相手との距離を測りながら話す作法から生まれたものです。
この辞典では、そうした表現を文化的な特徴として扱います。 「京都人は本音を言わない」といった見方でまとめることはしません。 そのような枠組みは、ことばの成り立ちを説明せず、話し手を戯画化するだけだからです。
あわせて、俗説として広まっている用法には注記を付けています。 有名な言い回しのなかには、実際の使われ方と世間の理解がずれているものがあります。
断定しないこと
語源や由来には、資料によって説明が分かれるものがあります。 そうした語については、どちらかに決めつけず、両方の見方を併記しています。 分からないことは分からないままにしておくのが、辞典として誠実だと考えています。
用例について
用例は、資料に基づいて再構成したものです。 このほかに「〈語〉いうたら、〜のことや」という形の語義の言い換えを持つ語がありますが、 これは用例ではないため、用例とは別の枠に置いています。 将来、実際の使用例が確認できたものから置き換えていきます。
変換ツールについて
京ことば変換は、機械的な規則による変換です。 実際の京ことばは、話し手・場面・相手との関係によって形が変わります。 出力をそのまま「正解」とせず、辞典の用例とあわせてご覧ください。
サイト名の由来
「ことばどすえ」は、名詞「ことば」+ 丁寧の助動詞「どす」+ 終助詞「え」という構成です。 「言葉ですよ」の意味で、京ことばとして文法的に成立しています。
「どす」は京ことばで最もよく知られた標識であり、 「え」は主に女性が用いる終助詞で、町方・花街の響きを加えます。
ロゴで「どすえ」の3文字だけ色を変えているのは、 「ことば」=内容、「どすえ」=京ことばの標識という構造を示すためです。
いけず変換について
遠回し表現を探すツールは、収録済みの表現から引き当てるだけで、 文章を生成しません。そのため、すべての出力に出典が付きます。
該当する表現が収録されていない場合は、そのまま「収録がない」と表示します。 埋めるために作った表現を出すことはありません。
ご指摘について
語義・用例の誤り、収録してほしい語などお気づきの点がありましたら、ご指摘いただけると助かります。 資料で確認できたものから反映していきます。