応答
このサイトに向けられている批判について
「いけずの発信は迷惑だ」という声に、反論せずに答えます
寄せられている批判
京都新聞の読者投稿型の企画「読者に応える」に、京都の「いけず」をめぐる記事が掲載されています。 そのなかで、読者から次の趣旨の声が寄せられたことが紹介されています。
いけずを大々的に発信されると迷惑に感じる。京都人に対するいじめでは
同じ記事では、京都出身であることへの反応が年々悪くなっていると感じる、という40代の方の声も紹介されています。
この批判は、このサイトにも向けられたものです。 いけずを見出しにして並べ、本音を対にして示している以上、 ここで名指しされている「大々的に発信する」側に当サイトは含まれます。 自分は違うと言うつもりはありません。
反論はしません
この批判に対して、当サイトは反論を書きません。
迷惑に感じるかどうかは、その土地に生まれ育った方が抱く感覚であって、 外から「そう感じるのは誤解です」と言えるものではないからです。 言われた側の受け取りを、言う側が否定することはできません。 それはこのサイトが扱っている遠回し表現の問題と、構造としてはよく似ています。
反論の代わりに、それでもなぜ続けるのかを書きます。
それでもなぜ続けるのか
京都のいけずについての情報は、すでに大量に流通しています。 アプリ、まとめ記事、テレビ番組、雑貨。 当サイトが黙っても、その流通は止まりません。
そして流通しているものの多くは、出典を持ちません。 「そう言われている」という説明が、別の記事へ引き写され、 さらに別の記事へ引き写されて増えていきます。 批判が指している「大々的な発信」の中身は、多くの場合これです。
当サイトができるのは、その流れを止めることではなく、 何が確かで、何が確かでないのかを示すことだと考えています。
俗説を俗説と書くことは、京都人像の拡散に対する対抗になります。 有名な言い回しについて「実際に使われている裏づけは見つかっていない」と示すことは、 その言い回しを紹介することより、像を薄める方向に働くはずです。
実際、収録はほとんど薄い根拠の上にあります
これは主張ではなく、当サイトの数字です。 現在公開している10件のうち、 実際に使われていることが「確実」と言えるものは1件もありません。
- 記録として存在するか — 独立した2件以上の資料で確認できたものは1件。 残りは資料が1件だけの状態です。
- 実際に使われるか — 「確実」は0件。 「俗説」「不明」「諸説」が並んでいます。
よく知られたいけず像が、いかに薄い裏づけの上に立っているかを、 この一覧はそのまま示しています。 煽ることなく、数字を並べるだけでそうなります。 これが当サイトの答えにあたる部分です。
それでも残る問題
以上を書いたうえで、この批判に完全な答えは出せていません。
検証の形をとっていても、いけずを話題にし続けること自体が、 「京都にはそういうものがある」という前提を強めてしまう可能性があります。 俗説だと書いた言い回しであっても、見出しに掲げれば人の目に触れます。 否定するために取り上げることが、結果として広めることになる—— この問題は、当サイトの作りでは解消できていません。
この点については、批判のほうに理があると考えています。 そのうえで続けているのは、流通を止められない以上、 出典と検証を伴う情報が一つあったほうがましだと判断しているからです。 この判断が正しいかどうかは、当サイト自身では決められません。
記事に紹介されている別の見方
同じ記事には、いけずを肯定的にとらえる見解も紹介されています。 「イケズの会」会長の大淵幸治氏は、いけずを単なる意地悪や腹黒さではなく、 相手の心を読んで角を立てずに事を運ぶために京都で編み出された言語の技術である、 という趣旨で説明しています。
なお、同記事は途中から有料会員限定です。 大西里枝氏の見解は未読部分にあたるため、当サイトでは紹介していません。 記事の見出しには同氏への取材が示されていますが、内容を確認できていない以上、 要約することも引用することもしません。
いけずが気遣いの上に成り立つものだという同氏の立場は、 別の媒体に掲載された文章で読むことができます。 こちらは全文を確認しており、当サイトの 編集方針の裏づけとしても参照しています。
ご指摘をお待ちしています
このページの書き方そのものについても、ご指摘をいただければ助かります。 批判の紹介の仕方が不正確である、応答になっていない、 といった点があれば、書き直します。
参照した資料は出典一覧に公開しています。